元メジャーリーグベースボール(MLB)選手で、元カナダ野球代表オリンピック投手だったレアール・コーミェがニューブランズウィック州で死去した。53歳だった。
コーミェはアカディア(フランス入植者のつけた古い地名)を祖先に持ち、ニックネームも「フレンチー」だった。彼は初めて1985年にカナダ代表として選ばれ、ロードアイランドコミュニティカレッジ在学時にカナダU-18代表チームに選ばれた。
コーミェは1987年パンアメリカン競技大会でカナダ代表デビュー。WBSC野球インターコンチネンタルカップ1987では3勝0敗、 防御率0.67をマークした。WBSC野球ワールドカップ1988とソウルで行われた1988オリンピック公開競技でも出場した。
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オリンピックの後セントルイス・カージナルスにドラフト指名され1991年にMLBデビューを果たした。元々は先発投手だったがその後リリーフになりMLBで16シーズン683試合に出場した。セントルイスを離れた後ボストン・レッドソックス、モントリオール・エキスポス、 フィラデルフィア・フィリーズ、 トロント・ブルージェイズ、シンシナティ・レッズでプレーした。2007年にはMLB最後の7試合に出場した。
彼は同じカナダ人投手ポール・クアルントリルの記録841試合に続いてMLB史上最多出場2位。
コーミェは新設ワールドベースボールクラシック2006で再びカナダ代表として出場。2008北京オリンピックには41歳で出場し、オリンピック史上最年長の野球選手だった。
コーミェは2012年にカナダ野球殿堂入りを果たした。
Cormier was inducted into the Canadian Baseball Hall of Fame in 2012.