連盟特集 ベースボール5がチュニジア連盟発展の起爆剤
28/02/2020 1 記事を読む目安時間

連盟特集 ベースボール5がチュニジア連盟発展の起爆剤

チュニジアはアラビア諸国で初めて野球を始めた国であり、1980年代には黄金時代を経たがが1990年代には危機に瀕した。ベースボール5の導入により、チュニジア連盟がその勢いを盛り返している。

第一回WBSC総会を2014年に開催し国内オリンピック委員会 Torch Awardにもノミネートされたチュニジア野球ソフトボール連盟は、今日(2月28日)52歳を迎えるSaber Jlajla会長の下その勢いを取り戻している。

野球がチュニジアで始まったのは第一次世界大戦後、アメリカのバルティモア大学の歴史家で研究者だったDr. C.G. Kellyによる紹介だった。チュニジアはアラブ諸国で初めて野球を始めた国となった。

チュニジア野球リーグは1920年に公式に始まった。チュニジアは1881年、ロシアとの露土戦争に完敗しオスマン帝国はフランス保護領となった。

18世紀後半に Albert Spaldingワールドツアーを行いフランスにも野球競技が紹介されたが、フランスに公式野球連盟が設立されるのは1924年オリンピックの開催を待ってからである。

チュニジアでは1920年代から1930年代の間にいくつかの球団があったが、世界第二次世界大戦中にチュニジアは野球の黄金時代を迎える。アメリカ軍隊がチュニジアに駐在していたことから野球が大きく発展した。少なくとも10球団が活動していた。野球はアメリカンスクールでも行われ、地元の学校の生徒たちにも紹介された。


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1952年チュニジアはフランスからの独立をはじめ、1956年にHabib Bourguibaがチュニジア王国の初代首相に就任した。その後、チュニジアの野球連盟はヨーロッパ野球連盟に加盟した。

1980年代連盟の活動も盛んになり、野球ソフトボール連盟の設立が1993年に実現した。当時12球団が存在していたが、その10年後に突然これらの活動が停止してしまう。

1994年、ヨーロッパ野球連盟の助けを得て再活動したが、2011年ごろまでその動きはかなり「緩い」ものであった。

現在のJlajla会長は2012年に会長に就任。生まれ故郷であるビゼルトの青少年スポーツ地方省でスポーツのインフラストラクチャーを担当している。またアフリカ野球ソフトボール協会の会長、WBSC大陸連盟副会長も務めている。

1980年の黄金時代に選手として活躍していたJlajla氏は、2012年には士官部門とジュニア部門の代表チーム監督をつとめ、さらに野球チームも11球団に増加した。

また男女混合ソフトボールも導入し、2014年には4つのソフトボールチームを設立。野球とソフトボールがチュニジアの4つの学校でも教えられた。公式競技人口も野球1200人、ソフトボール250人にのぼった。

チュニジアは2014年5月に第一回WBSC総会を自国で開催し、さらに2018年7月には国内にベースボール5を導入してFTBSの将来ビジョン変更を決めた。この新しいストリート版野球・ソフトボール競技の初心者用講習会と職業訓練プログラムとして行うと100人以上の参加者から支持され、さらに次のステップとして男女混合8チームが設立された。

2019年12月にチュニジアは初のベースボール5国内選手権大会を実施。7チームが出場した。

「わたしたちはベースボール5をストリートから学校へ、そしてさまざまなところに広げていきたいと思っています。Sonia Ben Cheikh青少年スポーツ大臣もベースボール5を高く評価し、このプロジェクトをサポートすると言っています。」とJlajla会長は語った。

FTBSは青少年スポーツ省と協定を結び、今後国内427か所のユースセンターでコーチ、審判員、選手のためのコースやセミナーを開催する。

「ベースボール5は、簡単で手軽、場所もとらないのでまさに競技振興に最適です。」とJlajla会長は加えた。

ベースボール5のFTBS国内導入成功は、国内オリンピック委員会より認められ、スポーツ統括部門でのOlympic Torch Awardにノミネートされた。

「残念ながら賞の授与には至りませんでしたが、11連盟のうち3番目にランクインされ嬉しく思います。」と Jlajlaは喜びを語った。

また、2020年始めにWBSC大陸インストラクターChedli Mokrani氏がベースボール5のコースを開き、12名の記者らが参加した。「この新競技を最大限に広げたいわれわれの戦略を遂行するためには彼らのサポートが大変必要だ。ベースボール5はわれわれの連盟にとって新しい起爆剤となっている」と加えた。