元スーパースターの松井秀喜氏が一般財団法人「アフリカ野球・ソフト振興機構(J―ABS)」に賛同してアフリカにおける野球ソフトボール振興プロジェクトを行う。
目標は日本の甲子園をモデルにしたアフリカの高校生大会を作ること。タンザニアとガーナの高校国内選手権大会は甲子園と名付けられている。タンザニア甲子園は2014年に第一回大会がこなわれ、第9回目が12月12日から15日に実施される。松井氏は出場選手たちに送るメッセージを製作中だ。
一般財団法人「アフリカ野球・ソフト振興機構(J―ABS)」はこのプロジェクトの協力者に松井氏が最適と考えた。元スーパースターは高校時代に3年間夏の甲子園野球大会に出場。1992年大会では5打席連続敬遠され、打席では「ストイックで感情を表に出さない」と新聞の見出しを飾った。
アフリカ野球・ソフト振興機構代表理事の友成晋也氏は「日本型野球で目指す人づくりの理想像として、スポーツマンシップあふれる松井さんがふさわしいと考えて協力をお願いしました」という。
ガーナ、ブルキナファソ、ナイジェリア、タンザニア各国の選手も出席したオンライン記者会見中で、松井氏はプロジェクト賛同についてにスピーチした。
「アフリカには野球を通して夢を追いかける子供たちがいることは素晴らしいこと。野球を通して世界中の子供たちキャッチボールがしたいですね」とメッセージを寄せた。
松井秀樹(左打外野手)は1947年生まれ。彼は日本プロ野球(NPB)東京読売ジャイアンツで1993年から2002年まで活躍し、1994年、2000年、2002年の日本シリーズ優勝に貢献。2000年日本シリーズMVPに選出。セ・リーグMVP3度選出(1996年、2000年、2002年)。
松井は2002年に3年間2100万USドルでメジャーリーグのニューヨークヤンキースに移籍。2003年ヤンキースはフロリダ・マーリンズに敗れたが、松井はMLBワールドシリーズで日本人初の本塁打を放った。2005年にヤンキースと4年5200万USドルで契約。2009年ワールドシリーズ優勝に貢献し、MVPに輝いた。ニックネームは「ゴジラ」。
松井は2012年以降はロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・エース、タンパベイ・レイズでプレーした後引退した。
2018年に松井は日本の野球殿堂入りを果たした。