100年前 ベーブ・ルースがキューバに野球遠征
02/11/2020 1 記事を読む目安時間

100年前 ベーブ・ルースがキューバに野球遠征

ヤンキースで本塁打54本を記録したあと、ベーブ・ルースはニューヨーク・ジャイアンツに移籍し、キューバのハバナでツアーを行った。このツアーの契約金2万ドル(2020年現在の26万280ドルに相当)を、ベーブ・ルースはが全てギャンブルで使い果たしてしまったと伝えられる。

1920年10月30日、ジョージ・'ベーブ' ・ルースがキューバのハバナを訪れた。WBSCはこの歴史的な日を祝い、MLBスターで本塁打王は、キューバでは一本も本塁打を放たなかったが、キューバのファンたちを熱狂させたあの日を振り返りたい。

ルースはこの「アメリカシリーズ」と呼ばれるアメリカチームのキューバ遠征で20万ドルを稼いだと言われる。このツアーは1891年から始まり1959年まで続いた。

当時25歳のルースはメジャーリーグ(MLB)の「デッドボール時代」を終わらせたスターだった。彼はニューヨーク・ヤンキースでの2シーズン目に54本塁打(142試合以上)を記録し、1921年までには59本(152試合)まで記録を伸ばした。これは1961年ロジャー・マリス(161試合61本塁打)の登場まで破られることのなかった記録だ。

ルースはハバナではニューヨーク・ジャイアンツの選手として訪れ、ハバナレッズとアルメンダレスブルースと戦った。2球団とも1878年に設立され革命後の1961年に中断されたキューバプロリーグのクラブだった。

10月30日、ルースはハバナとの試合でセンターを務め、三塁打と二塁打を放った。さらに10月31日の試合では2安打をマークするが、投手エミリオ・パルメロが三振で彼を倒した。11月3日に行われた試合ではベーブは投手陣のホセ・アコスタやオスカー・トゥエロからは無安打、その次の日には2安打を出した。

11月6日に行われたアルメンドラスの試合でも無安打に終わった。キューバのスラッガー、クリストバル・トリエンテがベーブを越す活躍で、3本塁打を出した。ルースは継投としてマウンドにもたった。「バンビーノ(ルースの愛称)」は11月7日の試合では2安打、8日の試合で1安打を放つが、11月12日は無安打だった。11月14日の決勝では2打席で1安打を放った。

その次のシーズン、ルースはヤンキースでプレーし、ジャイアンツと戦ったが、1921MLBワールドシリーズ8試合で負けた。

野球歴史家のリック・フェインゴールド氏が、2016年にクーパーズタウンで行われた野球とアメリカ文化についてのシンポジウムで語ったところによると、ルースはこの遠征の契約金2万ドルを全てハバナのカジノで使い果たしたという。

ベーブは革命前の時代にハバナでプレーした最初の有名MLB選手ではない。タイ・カッブと彼のチーム、デトロイト・タイガースは1910年にキューバに招待され12試合シリーズを披露している。カッブは2試合出場したが、3度の盗塁に失敗したあと、ツアーを抜けた。彼は二塁のベースが3インチ遠くに置いてあったと証言してからツアーを離れることを決めたという。結局タイガースは7勝4敗1分でツアーを終えた。

ジャッキー・ロビンソンもブルックリン・ドジャースのメンバーとしてハバナで1947年に春合宿を行っている。彼はそのシーズンにMLBデビューした。