1986年10月13日 野球がオリンピック競技になった日
13/10/2020 1 記事を読む目安時間

1986年10月13日 野球がオリンピック競技になった日

野球競技は1992年から2008年までオリンピック公式種目として実施された。そして東京2020で歴史的復帰を遂げる。

野球競技は1986年に国際オリンピック委員会の決議により、1992年バルセロナ大会でオリンピック公式種目としてデビューを飾った。

1986年10月13日に行われた第91回IOC総会の終了後、当時のIOC委員の一人マヌエル・ゴンザレス・グエラはすぐさま当時の国際野球協会(IBA)のロバート・スミス会長の元に駆けつけ、野球が正式種目として承認されたことを伝えた。

スミス会長は当時のIBA副会長の山本一郎(日本)や1993年に会長に就任したアルド・ノタリ(イタリア)と共にスイスのローザンヌにいたため、その歴史的瞬間に立ち会った。当時のカス・ピーラク事務総長(カナダ)もその場にいた。

ノタリ氏は野球のオリンピック競技の実施決定の時をわが子の誕生にたとえた。

「この気持ちをどのように伝えればいいかわかりませんが、生涯をかけて挑んできた目標をついに達成できました。初めて息子が生まれた時の父親の心境です」とノタリ氏は語った。

オリンピック野球確立への道のり

当時のIOC委員の一人ゴンザレス・グエラはオリンピックでの野球実施に向けて彼自身が後押しをしていた。彼は対立関係にあったFIBA(国際アマチュア野球連盟・Féderacion Internacional de Béisbol Amateur)とFEMBA (世界アマチュア野球連盟・Féderacion Mundial de Béisbol Amateur)が1976年に統合して生まれたANIBA (国際アマチュア野球協会・Asociación Internacional Béisbol Amateur)の会長に指名された。

1984年の選挙で会長に就任したスミス氏は組織名をIBAに改名。スミス氏は「野球界ナンバーワンのロビイスト(シカゴ・サン紙)」と呼ばれるほどの手腕で1984年ロサンゼルスオリンピック大会で野球を公開競技として実施することを成功させた。

IOCが野球競技を84年のロサンゼルス大会で実施を決めたのは、当時ロサンゼルス・ドジャースが損失補償プランを提供していたからだ。

「ドジャーススタジアムで行われる試合は必ず成功すると自信があったが、損失が出た場合それをわれわれが補償すると請け負ったのです」と当時のドジャースのオーナーPeter O'Malley氏は回顧した。

補償は結局必要なく、オリンピックの野球競技は大成功を収め、1試合あたり4万8000人の観客を動員した。野球大会は日本の優勝で終わり、当時のアントニオ・サマランチICO会長は「ロサンゼルス大会での野球成功で確信しました。野球はメダル競技にふさわしい」と語った。

歴史的復帰

2012年から2016年までオリンピックで野球大会が行われなかったが、2016年8月3日、IOCは東京2020オリンピックでの野球とソフトボールオリンピック復帰を決議した。

引用は全て「The Game We Love」より抜粋。