2023年の連盟特集シリーズ第1弾はフィリピン。4年目を迎え 32 番目に紹介する連盟となる。
フィリピンの国内統括団体はアマチュア ソフトボール協会 (ASAPHIL) 。ジャン=アンリ・ルヒールが会長を務める。
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ルヒール氏は1969年生まれの実業家・外交官。フィリピン最大のマイクロ金融機関である Cebuana Lhuillier社 を運営および管理する PJ Lhuillier Group of Companies の社長兼 CEO 。 30年以上にわたりフィリピンのスポーツシーンを支えてきた。
新型コロナウイルスのパンデミックはフィリピンスポーツ界にとって特に過酷な期間だった。 2020年と2021年は国の規制によりソフトボールは他のチームスポーツ同様に活動の停止を余儀なくされた。
ソフトボールは1911年、アメリカ軍によってインドア野球としてフィリピンにもたらされた。アメリカではこのインドア野球が1930 年になってソフトボールに改名された。
ソフトボール、もしくは室内野球は、ビコルとビサヤ地方の女性の間で広まる。フィリピンはこの新しいスポーツを提唱し、1915 年に中国の上海で開催された極東競技大会で室内野球の模擬試合を開催。その後すぐに、同競技は公立学校の公式行事になった。
フィリピンでは、ソフトボールチームは Blu Boys と Blu Girls と呼ばれて親しまれており、フィリピン国内でいかにソフトボールが浸透しているかわかる。
フィリピンは 1967 年に第 1 回アジア女子ソフトボール選手権大会を開催し、1968 年に第 1 回男子ソフトボール選手権大会を開催した。 その後フィリピンはすぐに競争力のある女子代表チームを編成し、日本の大阪で開催された1970 年の女子ワールドカップでは銅メダルを獲得した。これまで 7 大会に出場したが、1998 年から 2016 年まで出場権を獲得できていない。現在、女子ソフトボール世界ランキングで 30位にランクされている。
男子部門では、フィリピンは男子ソフトボール ワールドカップにこれまで11大会出場、1968 年にアメリカのオクラホマシティで開催された 4 位が最高成績。自国で開催した1992年大会では7位に終わった。
Blu Boys は東南アジア地域の強豪チームとして知られているが、2019 年東南アジア競技大会でシンガポールに敗れたことは、同国のソフトボール コミュニティに衝撃を与えた。
しかし、ニュージーランドで開催された WBSC 男子ソフトボール ワールドカップの出場権を獲得し、再び国内のソフトボールファンたちはフィリピンのチームの成長を目にする機会を得られた。
ルフィール会長は、フィリピンが昨年の17回大会に出場して、2 勝 6 敗の記録で 10 位に終わり、2019 年チェコ大会での 16 位の記録を更新したことを祝福した。
この大会でデンマークを破ったフィリピンの初白星の知らせはフィリピン国内で大きな話題となり、そのハイライト動画は特にFacebook で大きく広がった。
フィリピンのソフトボールコミュニティは決して大きいグループではないが、国際大会などでの Blu Boys/Girls の成功のニュースが広く広まったのは彼らの団結力の賜物だ。
フィリピンの多くの大手メディアもフィリピン スポーツ委員会を通してチームの最新結果を報道。オンラインサイトもあるフィリピン最大のニュース会社 『Philippine Star 』と 『Philippine Daily Inquirer 』の2社も男子ソフトボール ワールドカップでの Blu Boys の画期的な勝利について報道した。
CNN フィリピンと ABS-CBN ニュース (トップ TV ネットワーク) でも Blu Boys についてニュースが流れ、Blu Boysや大会について大きく取り上げられた。
WBSC 男子ソフトボール ワールドカップでデンマークと南アフリカを下して 2 勝したことで、フィリピンは男子ソフトボール世界ランキングで 15 位に上昇した。