オリンピアンのグレタ・チェケッティがイタリア・ソフトボールリーグで通算2000奪三振を達成
15/04/2024 1 記事を読む目安時間

オリンピアンのグレタ・チェケッティがイタリア・ソフトボールリーグで通算2000奪三振を達成

イタリアン・アカデミー出身のチェケッティは、テキサスA&M大学、日本のJD.LEAGUE、オランダのトップリーグ、アスリート・アンリミテッドでも活躍した。チェケッティは、2020年の東京オリンピックなどイタリア代表として95回出場している。「チャンスに恵まれ、それを自分の力でうまく獲得することができたと思います」と語った。

オリンピア選手のグレタ・チェケッティは、4月13日(土)にイタリア・ソフトボールリーグ(セリエA1)でボラーテをマチェラータに勝利させ、2000奪三振を達成した最初の投手となった。彼女は試合終了前にさらにもう1つ三振を奪い、通算奪三振数を2,001に伸ばした。

35歳のチェケッティは、モニカ・コルビーノ(1970奪三振)と Sun Yue Fen(1800奪三振)を抜いて、すでにイタリアでの歴代奪三振王となっていた。彼女は2004年にイタリアのトップリーグでデビューした。

2021年までに281試合に登板し、1411イニングで1988の三振を奪った。グレタは日本のJD.LEAGUE(京都・ギャラクシースターズ)とオランダのトップリーグ(スパークス・ハーレム)でプレーし、2022年と2023年にアスリート・アンリミテッドに参加した。彼女はイタリアに戻り、2024年に残りの三振を追加した。

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チェケッティはWBSCの取材に対し、「初めて三振を奪ったのは2005年ですがどのチームと対戦したかは覚えていません。その年は決勝でマチェラータに勝ちましたが、今回もマチェラータとの対戦で2000個目を達成しました。ボラーテのユニフォームを着て2,000回を達成できたことは、私の誇りです」

チェケッティはイタリア野球ソフトボール連盟(FIBS)のアカデミーで育った。イタリア生まれの育成選手としてチェケッティは初めてアメリカのテキサスA&MでNCAAディビジョン1レベルに出場し、日本のJD.LEAGUEでプレーした最初のイタリア人となった。

「私は内気で自信のない子供でしたし、自分がここまで成し遂げられるとは思ってもみませんでした。私は頑固で、夢みがちでしたが、成長するにつれて自己認識できるようになりました。幸運にもチャンスに恵まれ、それを自分の力でうまく獲得できたと思います。そして規律を重んじ細部にまで気を配り頂点を目指してきました。私の功績が今後より多くの選手に道を開くことを願っています」

チェケッティは、自分の成功は家族のおかげだと言う。

「両親はいろいろな形で私を助けてくれました。父(フランコ)はアスリートとはどういうものかを教えてくれ、母(ミリアム・チェリ)はプレーについては何も言わなかったけれど、私のことをいつも気遣ってくれました。妹(ララ、5歳年下、ボラーテとナショナルチームの選手)とはいつも勝敗を分かち合ってきました」

チェケッティは、2020年の東京オリンピックを含めイタリア代表として95回の国際大会に出場したが、7月にイタリアで開催されるWBSC女子ソフトボール・ワールドカップ・ファイナルをもって国際ソフトボール界から引退すると表明しており、100回の大台に到達することはないだろう。「私はその決断を下し、折り合いをつけました」と語っている。

しかし、彼女は現役引退後もソフトボール界に貢献するという。

「選手兼コーチとしてボラーテに戻ります。兼任はとても気に入っています。自分が育ったクラブであるボラーテに恩返しをしたいです。いつまで選手兼任コーチをやるかはわからないけど、(完全に)引退するときがくればわかるでしょう」と結んだ。