1992年7月26日に、野球が初めてオリンピックに参加

1992年7月26日に、野球が初めてオリンピックに参加
27/07/2020
キューバは、国際的な野球スターを集結した名簿で、野球で初めてのオリンピックの金メダルを獲得した。Garciaparra選手, Varitek 選手や Giambi 選手のような若選手もアメリカにメダルをもたらす事ができなかった。

野球は、1992年7月26日日曜日のオリンピック、スペインのバルセロナでメダル正式種目としてデビューした。第25回オリンピックの開会式はその前日に行われた。

1992年のオリンピックは、参加選手最多の記録を樹立し、この記録は今も破られていない。172の国と地域を代表する9,356名の参加選手が28種目のスポーツを競い257の大会に出場した。

野球は、ラウンドロビン形式の8チームの戦いだった。参加した各チームは、7試合のグループ試合を行い、上位4チームが準決勝に進んだ(1位対4位、2位対3位)。準決勝の勝者は金メダルをかけた決勝戦に進み、敗者は銅メダルを獲得した。

参加した代表チームは3大陸から集まった。キューバ、アメリカ、プエルトリコ、ドミニカ共和国はアメリカ大陸からの出場権を得、アジアからは日本とチャイニーズ・タイペイ。ヨーロッパからイタリア。開催国スペインはヨーロッパからの2番目のチームだった。

キューバは、現役でトップキャリアにある国際的スター選手達のおかげで最初の金メダルを獲得した。その中にはOmar Ajete 投手やOrlando El Duque Hernandez投手、まもなくMLBワールドシリーズの優勝者になった内野手の German Mesa選手、Antonio Pacheco選手、 Omar Linares選手,外野手 のOrestes Kindelan選手、 Victor Mesa選手等が名を連ねていた。

キューバは決勝でチャイニーズタイペイチームを18対4で簡単に打ち負かし、11勝1敗で勝利した。チャイニーズタイペイチームは、その時に誕生したばかりのチャイニーズプロ野球リーグ(CPBL)の経験豊富な選手で構成されていた。

3位の日本はバルセロナにセミプロのベテラン選手と若いプロ野球選手(NPB)から構成された混合の代表チームを送り、その中には将来のホームラン王、小久保博樹投手(21歳)やその年のアマチュアドラフトのラウンドピック杉山 賢人選手等がいた。

フロリダ州立大学のヘッドコーチのRon Fraser監督率いるアメリカの名簿には19歳の Nomar Garciaparra,選手、20歳の Jason Varitek選手 、21歳のJason Giambi選手がいたが、彼らは4位で終わった。

第 91 回 IOC 総会は、1986年10月13日、ローザンヌで野球をオリンピックに投票した。同総会では、プロのスポーツ選手がオリンピックに出場することを許可したが、各IFに含めるかどうかは決定しなかった。当時の野球の国際統括機関である国際野球協会(IBA)は、1998年のオリンピックにプロが参加することを承認しただけだった。

IBAの Robert Smith(ローバート・スミス会長は、WBSCの本「The Game We Love」でこの件についてコメントしていたが、”私達は1992年には間に合わないと思っていたが、その中には筋金入りのアマチュア選手が本当に沢山いた。”

オリンピックの競技種として取り上げられる前、野球は1984年のロサンゼルスの大会で公開競技だったが、そのトーナメントの大成功は、1986年のIOC総会の投票に役立った。

1980年以来IOCの会長を務めるJuan Antonio Samaranch会長は、オリンピック直後に次のように語った。「ロサンゼルスでの野球の成功を見て、野球がオリンピック競技であり得ることを確信した。」

野球は、1988年に韓国のソウルで行われたオリンピックでも、公開競技として実施された。