WBSC本部の歴史 数十年にわたる移転の末 ついにスイスに国際野球本部を常設
16/07/2020 1 記事を読む目安時間

WBSC本部の歴史 数十年にわたる移転の末 ついにスイスに国際野球本部を常設

国際野球連盟(IBAF)は国際オリンピック委員会とともに恒常的な関係を構築するため1994年1月にはじめてスイスのローザンヌに移転した。

世界野球ソフトボール連盟(WBSC)は先週スイスのプーリーに新本部をオープンした。この記事では国際野球連盟が統括団体として創設されてからこれまでの歴史を振り返る。

国際野球連盟(IBAF)は1994年1月にローザンヌに本部を移した。当時アメリカ人のロバート・スミス氏から会長職を引き継いだイタリア人のアルド・ノタリ氏は国際オリンピック委員会との恒常的な関係を構築することを目指し、ミゲル・オルティン(スペイン)氏を新たに専務理事に指名し、本部をアメリカからスイスに移転するよう任務を課した。

「ローザンヌを初めて訪れたのは1993年10月12日でした。そして1994年1月2日にオフィスを開きました。」と著書「 The Game We Love」の中でミゲル・オルティン氏は回顧している。

記録によれば、当時組織名はIBAFではなく国際野球協会(IBA)だった。ノタリ氏が2001年に会長再選したあと改名した。

国際野球統括団体の本部は1980年代初めからアメリカにあった。スミス氏は自身が居住し仕事をしているイリノイ州のグリーンビルに本部を創設した。組織はANIBA(国際アマチュア野球協会)と名付けられた。これはもともと1938年レスリー・マンが設立したFIBA( (Federación International de Béisbol Amateur 国際アマチュア野球連盟)とFEMBA(Federación Mundial de Béisbol Amateur 世界アマチュア野球連盟)という当時分裂関係にあった二つの団体が統合したもの(1976年)。ヨーロッパ、北アメリカ、アジアなど27カ国が加盟していたが、対立関係が激しかったのは主に中央アメリカやカリブ諸国であった。

もともと国際野球連盟(IBA)を創設した初代会長マン氏はメジャーリーグベースボール(MLB)の元選手。当時アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ハワイ、キューバ、メキシコ、スペイン、エジプト、中国、日本、ペルー、フィリピン、ベルギー、オランダ、ドイツの16カ国が加盟していた。

マン氏がキューバ軍のJaime Mariné将軍とともに創設したアマチュアワールドシリーズはその後IBAFワールドカップへと発展したが、のちにアメリカがアマチュアワールドシリーズを退いたのを機に、マン氏は大会そのものと国際連盟(IBA)に興味を失っていった。

国際連盟(IBA)の1940年代、1950年代、1960年代の生命線は主に中央アメリカとカリブのスペイン語圏諸国であった。そして1944年、当時の会長Jorge Reyes氏 (メキシコ) は団体名をFIBAに改名。その後30年、連盟は主にアマチュアワールドシリーズの運営に携わり、本部は選出された会長の居住国に常に置かれてきた。

関連記事

WBSCが新たに常設本部をオープン

国際ソフトボールの歴史がスイスで新たな幕開け