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WBSC本部の歴史 国際ソフトボールがスイスで新たな幕開け

国際ソフトボール連盟は1950年創設以来、常に本部をアメリカに置いていた。

世界野球ソフトボール連盟(WBSC)は先週、スイスのプーリーに新本部をオープンした。この記事では統括団体誕生からの国際ソフトボールの本部の歴史を振り返る。

国際ソフトボール連盟(ISF)がオリンピックの首都ローザンヌにオフィスを構えたのは、ソフトボールのオリンピック復帰を目指していた2008年、2009年のことだった。それまで本部は常にアメリカ国内に置かれていた。

ISFはアマチュアソフトボール協会(ASA、現在のUSA Softball)のNick Barack会長が1950年代にコミッショナーカウンシルの会合で発足したもの。当時アメリカとカナダで活動しているソフトボールチームは25万チームあり、その選手人口数は100万人にのぼっていた。

「国際連盟創設が承認され、各国が国内連盟を組織できるようになります。」と当時Barack氏はASAコミッショナーたちに書面で伝えたという。「これらの国内連盟が国際ソフトボール連盟に集まり、各国連盟から選ばれたチームが国の代表としてオリンピックやパンアメリカン大会に出場するのです。」

ASA、カナダソフトボール協会とメキシカ競技連盟がこの国際連盟に加盟し、Barack氏が1952年暫定会長となった。日本もそのすぐ後に加わり、オーストラリアも1953年に加盟した。

ISFはニュージャージーにASA本部内にオフィスがあるのみだったが、1962年に理事専務Gene Martinのアシスタントとしてドン・ポーターが加わった。

ポーターはMartinが亡くなった3ヶ月後に、理事専務の役職を受け継いだ。1963年ASA国内選手権大会がコネチカットのスタンフォードで行われ、ポーターは当時の日本ソフトボール協会の岩野次郎副会長やオーストラリア女子ソフトボールカウンシルの代表者3名(Merle Short、 Esther Deason、Marjorie Dwyer)と会談した。そしてオーストラリアが南アフリカソフトボールのJan Crafford会長と女子世界選手権大会の構想についてを話し合った。

オーストラリアはその後第一回世界女子ソフトボール選手権大会を1965年にメルボルンで開催した。大会の前に、ISFは最初の理事会役員を選出。初代会長はBill Kethan、ポーターが最初の事務総長に就任した。新理事役員は最初の役員会でメキシコに世界男子ソフトボール選手権大会を開催することを決めた。

新設世界男子ソフトボール選手権大会は1966年に行われた。同年ASAとISFはオクラホマシティに本部を移した。

ISFは2000年まで本部を持たなかったが、その後フロリダ州のプラントシティに移転し、ポーターが会長に就任した。彼のASA専務理事の任期を1997年で終えた。

ISFは新世紀を迎えた2000年に加盟連盟数が100に達した。

ISFとIBAFが2013年に統合し、WBSCソフトボール部門文部は2019年終わりまでプラントシティに置かれていた。

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