WBSC女子ソフトボール世界選手権大会(現在は女子ソフトボールワールドカップ)は、1965年にオーストラリアのメルボルンで開催され、5か国が世界一を競った。この大会は、1966年の初の男子ソフトボールワールドカップに先立って、あらゆるカテゴリーで最初のソフトボール世界選手権大会だった。
女子ソフトボール世界選手権大会の起源は1962年8月に遡り、オーストラリア女子ソフトボール評議会の3人のメンバー(Esther Deason、Merle Short、およびMarjorie Dwyer)がコネチカット州ストラトフォードでASA女子メジャーファストピッチナショナルチャンピオンシップに参加した。カナダと日本からのチームを含む19チームが参加した。
このトリオは、当時ASAのエグゼクティブディレクターであったドン・ポーター氏と、日本代表団の代表である岩野二郎氏と面会した。彼らは、各国がチームを派遣して国際トーナメントを開催する可能性について話し合った。その会議の3年後、最初の公式ソフトボール世界選手権が行われた。
アメリカ、日本、ニュージーランド、ニューギニアと開催国オーストラリアが参加し 、クリケットのピッチから創り出されたダイヤモンド上で、初めて「世界のタイトル」を賭けて戦った。
国際的なソフトボールの歴史の中で最も厳しい戦いが繰り広げられ、オーストラリアがアメリカに1対0で勝利し、スポーツで最初の世界タイトルを獲得した。無得点で5イニングを終えたオーストラリアのElinor McKenzie選手は、Donna LoPiano投手から一塁打を奪い2塁にいた。オーストラリアの主将Gladys Phillips選手に直面したLoPiano投手が暴投し、McKenzieは3塁に移動した。Laura Malesh捕手がプレートの後ろのセーフティネットからボールを拾っている隙に、McKenzie選手は本塁にダッシュし、プレートをカバーしていたLoPiano投手をすり抜け、試合唯一の得点を獲得した。
日本は3位、ニュージーランドは4位で終了した。パプアニューギニアは5位となり、8試合で一度も勝利しなかった。
初回のあと、各国の女子ソフトボール代表チームは10のホスト国で合計16の世界選手権大会に出場した。アメリカは11の優勝と4回の2位獲得で大会を支配しており、日本(優勝3回、二位6回、3位2回)、オーストラリア(優勝1回、2位1回、3位6回)、ニュージーランド(優勝1回、2位1回、3位2回)が続いている。スコア詳細は以下の通り。
| 金 | 銀 | 銅 | 合計 |
アメリカ | 11 | 4 | - | 15 |
日本 | 3 | 6 | 2 | 11 |
オーストラリア | 1 | 1 | 6 | 8 |
ニュージーランド | 1 | 1 | 2 | 4 |
中国 | - | 2 | 1 | 3 |
カナダ | - | 1 | 3 | 4 |
チャイニーズタイペイ | - | 1 | 1 | 2 |
フィリピン | - | - | 1 | 1 |
合計 | 16 | 16 | 16 | 48 |
女子ソフトボール世界選手権大会の第2回は1970年に日本の大阪で行われ、アフリカ、アメリカ、アジア、オセアニアの4つの大陸から9つの国が参加した。2010年まで4年ごとに大会が行われたが、オリンピック不在の期間を埋めることを目的とし、その後隔年の大会となった。2018年にWBSCは、すべてのカテゴリー(メンズ、レディース、ジュニアメンズ、ジュニアレディース)でオリジナルのソフトボールワールドチャンピオンシップをリブランドし、WBSCソフトボールワールドカップに改名した。
2021年に当初予定されていたWBSC女子ソフトボールワールドカップの第一回は、COVID-19世界的なパンデミックの発生により延期され、2023年に開催される。